国会とは何なのか?――議論が見えない「演説会」

国会・政局

「国会」と聞くと、あなたはどんな場面を思い浮かべるでしょうか。

テレビで映る国会中継。
与党と野党が向かい合い、順番に発言し、それぞれが自分の主張を述べていく。

野党は叫び、与党は淡々と答える。
質問をしても、答えにならない答えしか返ってこない。

見ていて、ふとこう思うことがあります。

……これ、議論になっているのかな?


会社の会議では「議論」をする

普通、会社でもチームでも、会議とはこういうものです。

  • 事前に会議のテーマや資料を共有する(今度の会議ではXXXを決めたいです)
  • あらかじめ考えて臨む(事前に意見を考えてきてください)
  • 互いの意見を出す(僕はこう思う)
  • 相手の立場や事情を理解する(なるほど、そういう考えもあるね。いいね、そのアイデア)
  • その上で折衷案を探す(じゃぁ、こうすればいいね)
  • 最後に決める(よしっ、これでいこう)
  • そして実行する

もちろん会議は綺麗ごとばかりではありません。
利害もあるし、立場も違うし、感情だってあります。

けれども、最後は決定して、実行します。
会社の会議では、互いに罵り合ったり、ヤジを飛ばすことは目にしません。
ハラ落ちしない、ということはよくありますけれど。


でも国会では、その“民主主義のプロセス”が見えない

では、国会はどうでしょうか?

  • いきなり意見を求められる(前日通告)
  • 互いに議論しているようで、噛み合っていない(はぐらかしている?)
  • 相手の意見に乗る気がない(互いの主張の応酬で、議論にならない)
  • 質問というより、批判や確認に近い(細かな知識でマウント、一方的な罵り)
  • 妥協点を探しているように見えない(相手の意見を尊重しない)
  • 自分たちの正当性はしっかりアピール(私たちはやっている)
  • 参加者のなかには会議が成立しないようにする人がいる(汚いヤジ)

少なくとも、表に見えるものはどちらかというと、

討論でもなく、妥協でもなく、「演説会」

です。

そう、NHKの日曜討論と同じです。 順番に“自分の意見を言うゲーム”

これでは、議論の意味が薄れてしまいます。
こういう会議をやると、会社では怒られます。

「それで、結局、どうするんだ!?」


「見えないところで決まっている」ようにも見える

それでも、実際には、国会で様々なことが議決されていきます。一方的な演説会なのに。

いや、現実的にはこういうことでしょう。

  • 見えない裏側では調整している
  • 見えないどこかで妥協している
  • 見えないどこかで取引が成立している

そういうことは起きているはずです。

でも、それが見えません。

民主主義に必要な“討論と妥協のプロセス”が、表に出てこない。

これが一番の問題だと思うんです。


なぜ「見えない国会」がまずいのか

国会議員は、憲法上「全国民の代表」です。

たとえ小選挙区で個人が票を集めても、比例代表で政党が票を集めても、
それらの有権者の声に拘束されるものではありません。

だから、国会議員は、独立した存在として自らの考えにしたがって、ベストなことを主張していくべきです。
そして、国民の代わりに、意見をぶつけ、争点を整理し、妥協点を作り、最終的に国として意思決定するわけです。

その場こそが、国会です。

なのに、見えているのが演説会だと、私たちはこう感じてしまいます。

  • どうせパフォーマンスでしょ
  • どうせ密室で決まってるんでしょ
  • 見ても意味がないな

そして、政治から距離を取る。あるいは、影の力に動かされていると考える。

結果として、政治は国民からの信頼を失っていく。
そうなると、何が行われても、もはや関心を持たなくなる。

私はこれが、いちばん危ういと思っています。


私は国会を、もう一度「国の意思決定の場」として見たい

私は政治家ではありません。
いきなり何かを変えられるわけでもありません。

ただ一つ言えるのは、

国会が「議論しているようで議論していない場」に見える社会は、健全ではない

ということです。

国会が本来の意味を取り戻すためには、
政治家の側だけでなく、私たち国民の側も、

「議論して決める政治」を求めていく必要がある。

私はそう思っています。


あなたは国会に何を期待しますか?

あなたは国会に、

  • 討論を期待しますか?
  • 妥協を期待しますか?
  • それとも、決断を期待しますか?

そして、今の国会はそれができていると思いますか?

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